女子バレーボール日本代表のエース黒後愛(くろご あい)選手。
その実力はもちろんですが、屈託のない笑顔が可愛くて学生時代から人気があります。
「黒後愛選手はどんな家族がいるんだろうか?」
と気になった方も多いのではないでしょうか?
黒後愛選手の家族について調査したところ、全員がとんでもないバレーボールのエリートであることが判明しました!
この記事では、そんな黒後愛選手の家族や家庭環境についてご紹介させて頂きます。
もくじ
黒後愛の家族構成は?
黒後愛選手は2人兄弟の次女になります。
4人家族で父親の名前は黒後洋(くろご ひろし)さんで、父親と同級生の母親の名前は裕子さんです。
父親 | 黒後 洋(くろご ひろし) |
母親 | 黒後 裕子(くろご ゆうこ) |
姉 | 黒後 彩乃(くろご あやの) |
本人 | 黒後 愛(くろご あい) |
黒後愛選手のプロフィールを見てみると下記の様になっており、家族をとても大切にしていることが分かります。
- 尊敬する人:両親・姉
- 私の元気の源:家族
家族が全員バレーエリートという事ですが、ご両親やお姉さんは一体どんな方なのでしょうか?
それでは、父親からご紹介させて頂きます!
黒後愛の父親‖黒後 洋(くろご ひろし)
父親の名前は黒後洋(くろご ひろし)さんで、1965年生まれですが黒後愛選手はすでに老後の心配をされているようです(笑)
栃木県立宇都宮東高校のバレー部で活躍し、卒業後は推薦で筑波大学に進学しています。
- 1988年 筑波大学体育専門学群 卒業
- 1990年 筑波大学大学院修士課程体育研究科体育学専攻 修了
黒後愛の父親は女子バレー部の監督!
黒後洋さんは宇都宮大学で女子バレー部の監督として、バレー部を2部から1部昇格に導くなど、監督としての手腕が高く評価されていています。
黒後愛選手もバレーの人生の分岐点は、父親の指導のお陰であったと過去のインタビューで答えています。
これまでのバレー人生を振り返ったときの分岐点について聞かれて、「小学生の時、父にバレーを叩き込まれたのが原点ですね」とはみかみながら答えた。
引用元:バレーボールマガジン
黒後愛の父親の教育方針は『比べないこと』
監督しての手腕が評価されている黒後洋さんですが、主な教育方針が2つあります。
- 周りと比べないこと
- 言い訳しないこと
よく愛に言っていたのは「周りと比べない」ということ。小学5年の時にチームが全国3位になったんですが、部員がたくさんいたわけじゃないんです。だから、部員が多くて強いチームをうらやましく思ってしまう。でも小さいチームでも志が高ければ上に行ける。「言い訳しないようにしよう」と伝えていました。
引用元:下野新聞
宇都宮大学では女子バレー部の監督としてだけでなく『体育学』の教授として教壇にも立っています。
将来スポーツ指導者や健康関連の職業を目指す学生に、体育・スポーツ文化論に関する基礎理論、及びバレーボールに関する指導法を中心に授業を行っており、教育者としてこの辺の考え方も生徒たちに教えているのかも知れませんね。
黒後愛選手はそんな父親を尊敬していて、進学先を下北沢成徳高校に決めた理由は父親がバレー部の監督の事を「面白い監督だ」と言っていたのが決断の理由だったと明かしています。
黒後愛の母親‖黒後 裕子(くろご ゆうこ)
黒後愛選手の母親の名前は黒後裕子(くろご ゆうこ)さんで、1966年1月8日生まれで父親の洋さんと同い歳で、同じく筑波大学の出身ですので、恐らくお二人は大学時代に出会ったのではないでしょうか?
黒後愛の母親もバレー選手だった!
黒後愛さんの母親の裕子さんも高校時代は春高バレーに出場し、筑波大学に進学後もバレー部に所属するほど本格的にバレーをやっていたそうです。
また子供を二人産んでからもママさんバレーをやるほどで、黒後愛さんや姉の彩乃さんがバレーを始めたキッカケにもなっています。
母がママさんバレーをやっていたので、姉がバレーを始めたきっかけは、父母の影響が大きかったと思います。私は、姉(5歳上)の練習について行くうちに、「私もやってみたい」と思うようになりました。小1の頃に「私もやりたい」と言ったら、母に「お姉ちゃんが始めたのは小3だったから、それまで待ちなさい」と言われました。
引用元:首都圏模試
母親に反抗した中学時代
黒後愛さんは父親のことは先生のように感じていたそうですが、母親は「勉強しなさい」とか「早く寝なさい」など口うるさかったので、「言わないで。わかってるから」と中学時代は反抗的な態度を取ってしまった時期があったそうです。
姉は生活面もきちんとしているので、「お姉ちゃんは中学生のとき、こうだったよ」と言われるのもいやでしたね。学
引用元:首都圏模試
しかしながら、高校に入り実家から離れて寮生活を送る様になり、母親が車で送り迎えしてくれたことや、食事を作って待ってくれていたことなど、それまで当たり前と思っていた事がそうではない事にようやく気付き、感謝する事が出来ました。
黒後愛の姉‖黒後 彩乃(くろご あやの)
黒後愛選手の姉の名前は黒後彩乃(くろご あやの)さんで、黒後愛選手の5歳年上です。
黒後愛選手に顔立ちが似ていて可愛いですよね。
黒後彩乃さんは宇都宮市立若松中学校から、バレーの名門・國學院大學栃木高校に進学して春高バレーで活躍し。
高校卒業後は宇都宮大学に進学しバレー部で主将を務め、第64回関東甲信越大学体育大会では優勝を納めています。
黒後愛の姉の監督は叔父!
姉の黒後彩乃さんは宇都宮市立若松原中学校でプレーしていましたが、その時の監督はなんと父親の兄にあたる叔父の黒後昭(くろご あきら)さんでした。
当時から175.8cmもあった黒後彩乃さんは雑誌にも「栃木のバレー一家で活躍」と特集を組まれるほどでした。
この中学には後に黒後愛さんも入学して叔父から指導を受けていますが、まさにバレーエリート一家ですね。
父の兄が、うちから自転車で20分くらいのところにある若松原中学校の教員でバレーボール部の監督をしていたので、ジュニア時代のエースと一緒に入りました。
引用元:首都圏模試
現在、叔父の黒後昭さんは、宇都宮市内にある瑞穂野中学校で女子バレーボール部の監督をしています。
黒後愛の姉はしっかり者!
黒後愛選手はお姉さんと顔は似ていますが、性格は真逆だそうです。
お姉さんはピアノが大好きで自分から練習して先生にもよく質問する子供だったそうですが、黒後愛選手は「練習しなさい」と言われなければやらなかったとか。
黒後愛選手はバレーボールでその才能が開花したわけですので、単純に適性の問題の様な気もしますが、学校では先生に比べられ「全然違うね」「本当に妹?」と言われてしまっていたそうです。
「お姉ちゃんはなんでもできてすごいな」と思っていたので、(比べられても)気にしないようにしていましたが、心のどこかにそういう気持ちはあったかもしれませんね。
引用元:首都圏模試
黒後愛の姉はビリギャルと親友だった!
黒後彩乃さんは、なんとあの『ビリギャル』の表紙になった石川恋(いしかわ れん)さんと高校時代からの親友です。
2016年に黒後愛選手が下北沢聖徳高校で春高バレーの決勝戦に進出した時は、姉の黒後彩乃さんと一緒に応援をしに行っています。
下北沢成徳高校の黒後愛選手を応援するために、、♡
引用元:石川恋オフィシャルブログ
愛ちゃんは高校時代からの親友の妹なのです。というわけで、今日も昨年に引き続き黒後家に混じって応援!
見事初優勝した瞬間は思わず涙がこぼれたそうで、試合後には黒後愛選手とも一緒に写真撮影をしています。
黒後愛のプロフィール
- 名前:黒後愛(くろご あい)
- 愛称:アイ
- 生年月日:1998年6月14日
- 出身地:栃木県宇都宮市
- 身長:180㎝
- 体重:70㎏
- 血液型:B型
- 所属:東レ・アローズ
- ポジション:WS
バレー一家に生まれ、両親と姉の影響で小学校3年生よりバレーボールを始めると、市立若松原中学校2年時には全日本中学選抜に選出されています。
3年生で出場した全国都道府県対抗中学バレーボール大会では、栃木県代表は2回戦で敗退しているにも関わらず、黒後愛選手は優秀選手賞を獲得してますので、中学時代からとんでもなく凄い選手だったんでしょうね…。
下北沢成徳高校に進学後、2014年には東京オリンピックの強化選手のメンバーとして選出され、現在は女子バレー日本代表のエースとして活躍しています。