メジャーリーグ・エンゼルスで活躍する大谷翔平選手の通訳の水原一平さん。
オールスター戦ではキャッチャーを務めるなど、通訳の存在を超えて大きな注目を集めています。
「水原一平さんってどんな経歴してるんだろう?大学はどこ?」
と気になる方も多いのではないでしょうか?
MLBの公式サイトの情報によると、水原一平さんはカリフォルニア大学リバーサイド校(UCR)を卒業している事が判明しました。
また過去には岡島秀樹投手の通訳を務めていたなど意外な経歴も併せてご紹介させて頂きます!
もくじ
水原一平のプロフィール
- 名前:水原一平(みずはら いっぺい)
- 愛称:IPPEI
- 生年月日:1984年12月31日
- 出身地:北海道苫小牧市
- 身長:約185㎝
- 職業:エンゼルス大谷翔平専属通訳
水原一平さんは北海道苫小牧市で生まれ、6歳までを過ごしています。
1991年に和食料理人の父親がアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスで板前を始めたことをキッカケにアメリカに移住しています。
父親の名前は水原英政さんで『さぬきの里(※現在は「たぬきの里」に改名)』というレストランでシェフを務めていて、過去にはメディアでも特集されています。
ちなみに住所は18206 S Western Ave, Gardena, CA 90248 アメリカ合衆国で場所はコチラです。
このレストランはエンゼルス球場から30分以内とほど近いところにあります。
過去のインタビューでは水原一平さんも球場から15分の場所に住んでいた事を明かしていますので、この辺りに住んでいたのは間違いなさそうですね!
【水原一平の学歴】高校はどこ?
水原一平さんの出身高校は南カリフォルニアのダイアモンドバー高校です。
Born in Konai, Japan, Mizuhara grew up in Southern California, going to Diamond Bar High school
引用元:ロサンゼルス・タイムズ
ダイアモンドバー高校
1984年生まれという事から、恐らく水原一平さんは2000~2003年頃に同校を卒業していると考えれます。
ダイアモンドバー高校は1982年に設立された比較的新しい学校で、アメリカの方たちからはDiamond Bar High Schoolの頭文字を取ってDBHSと表記されることが多いようです。
ダイアモンドバー高校の難易度は?
ダイアモンドバー高校は、公立高校としては比較的厳格で、競争的な雰囲気を持っている事で知られていて、アメリカの専門サイトUSニュースの2021年の『全米ベストハイスクールランキング』では約18,000校あるうちの417位にランクインしています。
水原一平は部活に入っていた?
水原一平さんは、高校までサッカー部とバスケットボール部に所属していたそうです。
こちらはDBHSのバスケットボール部のツイッターです。
現在は185㎝ほど身長があると思われる水原一平さんが高校時代どれほどの背の高さがあったのかは分かりませんが、恐らくこの様な雰囲気の中でアメリカ人にも負けずにバスケをやっていたのではないでしょうか?
【水原一平の学歴】大学はどこ?
水原一平さんは、2007年にカリフォルニア大学リバーサイド校を卒業しています。
カリフォルニア大学 リバーサイド校
カリフォルニア大学はUCLA(ロサンゼルス校)の存在は日本人にも良く知られていますが、実は10校で構成されていて、カリフォルニア大学リバーサイド校はその10校のうちの1つです。
- カリフォルニア大学バークレー校(UBC)
- カリフォルニア大学デービス校
- カリフォルニア大学アーバイン校(UCI)
- カリフォルニア大学アーバイン校(UCLA)
- カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)
- カリフォルニア大学マーセド校
- カリフォルニア大学リバーサイド校(UCR)
- カリフォルニア大学サンディエゴ校
- カリフォルニア大学サンフランシスコ校
- カリフォルニア大学サンタバーバラ校
- カリフォルニア大学サンタクルーズ校
どんな学部に通っていたのかは明かされていませんが、同大学は研究よりも学生の教育に重点を置いている事で知られていて、人気の専攻はビジネス、社会科学、コンピュータサイエンスなどとなっています。
カリフォルニア大学リバーサイド校の難易度は?
カリフォルニア大学リバーサイド校の入学生のSAT(大学進学適性試験)の平均点は、約1179点と言われています。
アメリカの名門私立大学8校、いわゆるアイビーリーグ入学生のSATの平均スコアが1400〜1500点ですので、それと比べると点数的には低いですが、合格率は約57%となっているので比較的難易度の高い大学と言えると思います。
元アナウンサーの久保田智子さんが東京外国語大学時代に留学したり、俳優でプロデューサーでもある小山田真さんが同校の英語プログラムを受講したことでも知られています。
ちなみに場所はこちらです。
900 University Ave, Riverside, CA 92521
水原一平の経歴は?
2007年~2009年:日系企業
水原一平さんは2007年にカリフォルニア大学リバーサイド校を卒業した後、一旦はアメリカの日系企業に就職されたそうです。
物心がついた6歳から米国に住み、大学卒業後はそのまま日系企業に就職して、3年間を過ごしてきたという。
引用元:Full Count
どの様な仕事かは明かされていませんが、ロサンゼルス・ドジャースに所属していた野茂英雄投手の活躍によってメジャーリーグに興味を持っていたそうですので、当時から日本人選手の動向に目を光らせてチャンスがあればいつでも応募しようと考えていたのかも知れませんね。
2010年~2011年:ボストン・レッドソックス
2010年当時レッドソックスに所属していた岡島秀樹投手は、2007年から3年間通訳を務めていたジェフ山口さんとの契約を解除し、新しい通訳を探していました。
当時は岡島秀樹投手自身のブログでも「通訳候補者の募集」と候補者を募っていたようです。
以前からメジャーリーグでの仕事に興味があった水原一平さんは、知人から紹介してもらい見事通訳としての仕事を獲得。
2010年~2011年の2年間の間、ボストン・レッドソックスで岡島秀樹投手の専属通訳として仕事をされています。
2012年~2017年:日本ハムファイターズ
2011年シーズン終了後にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ岡島秀樹投手でしたが、シーズン開幕前のトレーニング中に事前の身体検査で左肩に異常が発覚。
結局、岡島秀樹投手と一緒にヤンキースに行くはずだった水原一平さんは、職を失ってしまいました。
そんな時に、当時テキサス・レンジャーズでトレーナーをされていた中垣さん(現サンディエゴ・パドレス)から日本ハムファイターズが通訳を募集している事を聞き、すぐさま応募する事を決断してそのポジションを勝ち取っています。
それまでの長い海外生活を生かし、異国で暮らしていく選手たちのサポートに奮闘することを楽しみにしていたそうで、アメリカのスポーツ界から日本の野球界に転身したことに関して、水原一平さんは全く後悔していなかったと語っています。
「とまどいは全くなく、うれしい気持ちでいっぱいだった」
引用元:full-count
出身地である北海道の野球チームというところも、20年ぶりに日本に帰国するのを決断する後押しになったのかも知れませんね!
北海道日本ハムファイターズ在籍時は、ブランドン・レアード選手やクリス・マーティン選手など日本ハムに所属する外国人選手の生活や活動をサポートしています。
大谷翔平選手は2012年にドラフト1位で日本ハムに入団していますので、水原一平さんと日本ハムに入ったタイミングは同期になります。
大谷翔平選手は高校時代からメジャーリーグに興味を示していましたが、その後、日本ハムからの説得もありメジャー挑戦を見据えて日本プロ野球界でキャリアをスタートする事を決めましたので、将来的にメジャーを目指す大谷翔平選手にとって、通訳という立場とは言えメジャーでの経験がある水原一平さんとの出会いは貴重だったのかも知れませんね。
2018年~2021年現在:エンゼルス
2017年オフの大谷翔平選手のエンゼルス移籍に伴い、水原一平さんを専属通訳として指名。大谷翔平選手と共に日本ハムファイターズからエンゼルスに移籍しています。
5年間一緒にファイターズでやってきて、僕自身とても信頼していますし、そういう方にやってもらえるというのはすごく僕にとっては心強いんじゃないかなと思っています
引用元:Huffpost
大谷翔平選手のインタビューの通訳からキャッチボール相手をはじめ、私生活のサポートなど、公私にわたって大谷選手を支え続けています。
ファンからは『IPPEI』の愛称で愛され、ベースボールカードまで作られてしまうなど通訳という枠を超えて注目を集めています。
また2021年に大谷翔平選手がオールスター戦でホームランダービーに出場した際には捕手を務めるなど、これからも目が離せません!
これからも水原一平さんを応援したいと思います!