野田聖子議員が新設される「こども庁」の担当大臣に就任して話題になっています。
野田聖子議員は1960年生まれで2021年現在は61歳ですが、50歳の時に生まれた一人息子の野田真輝くんがいます。
野田真輝の読み方は”のだ まさき”で、実はアメリカ人とのハーフです。
という事は父親は誰だったのでしょうか?
野田聖子議員は息子の野田真輝くんが生まれながらに重度の障害を持っていた事を公表していますが、現在はどんな生活をしていて、学校はどこに通っているのでしょうか?
この記事では、野田聖子議員の一人息子である野田真輝くんについてハーフの真相や父親、そして学校などの情報についてまとめさせて頂きました。
もくじ
野田真輝 (のだ まさき) のプロフィール
- 名前:野田真輝(のだ まさき)
- 生年月日:2011年1月6日
- 年齢:10歳(2021年9月現在)
- 身長:138.8cm(2021年5月時点)
- 体重:27.1kg(2021年5月時点)
- 性格:楽天的
野田真輝(のだ まさき)の父親は誰?
野田真輝くんの父親は誰なのでしょうか?
野田真輝 (のだ まさき) の父親は鶴保庸介(つるほ ようすけ)?
野田聖子議員は2001年に鶴保 庸介(つるほ ようすけ)参議院議員と事実婚を発表しましたが、40歳の時には自然妊娠が不可能な体である事が判明していました。
野田聖子議員は14回もの不妊治療を繰り返しましたが、残念ながら出産には至らず、流産という悲しい出来事も経験。
2004年には『私は、産みたい』という本を出版されるほどお子さんが欲しい事を公表していました。
結局2人は2007年に事実婚を解消していますが、その理由には野田聖子議員が子供を持つことに対する考え方の相違があったと報じられています。
「彼女には“自分が子供を産みたい”というのがまず先にあって、“あなたのDNAを残したい”はその後でした。夫婦である以上、“あなたと私の子供をつくりたい”といってほしかった。正直、“おれは子づくりの道具じゃない”といってしまったことさえあります」(鶴保議員)
引用元:NEWSポストセブン
つまり野田真輝くんの父親は 鶴保庸介さんでは有りませんね。
野田真輝 (のだ まさき) の父親は野田文信!
野田聖子議員は2011年に一般の方との結婚をブログで発表。
2012年1月12日(金)にフジテレビで放送された番組『私は母になりたかった~野田聖子愛するわが子との411日~』でもその当時の壮絶な様子が報じられており、父親の野田文信氏も出演しています。
ちなみに野田文信氏は在日韓国人で、元暴力団関係者であったことが週刊誌によって報じられています。
▼詳細はコチラをご覧ください。
野田真輝 (のだ まさき) はアメリカ人ハーフ!
野田聖子議員は不妊治療や流産を経て、最終的に「卵子提供」という道を選択しました。
2010年の初春に、卵子提供が法律で認められているアメリカのネバダ州で、夫である野田文信氏の精子とアメリカ人の卵子による受精卵が野田聖子氏の子宮に戻され、念願の妊娠を果たしたのです。
つまり、野田真輝くんはアメリカ人とのハーフで、野田聖子議員もご自身で息子さんに関して「顔が全然違うイケメン」とインタビューで語っています。
私はハーフの子を産んで、私と血のつながっていないイケメンの子を産んだけど、私は実母。
(中略)子どものプライバシー、卵子提供を明かしたらかわいそうだとか。でもバレちゃうでしょ。顔が全然違うんだから(笑)。
引用元:イー・ウーマン
ちなみに、この卵子提供をアメリカで受けるには軽く数百万円は掛かると言われています。
野田聖子議員に対しては「税金で…」と批判を受けたこともありましたが、卵子提供にかかった費用は全て野田文信氏が出したことをブログで明かしています。
卵子提供の費用は、全部夫が出してくれたから。
夫は、国会議員じゃないし、高校出てから必死で働いて貯めたお金だし。
引用元:野田聖子オフィシャルブログ(2012年3月14日)
野田真輝 (のだ まさき) は生まれてすぐに集中治療室へ!
野田真輝くんはお腹の中にいる頃からエコー検査で「臍帯(さいたい)ヘルニア」と「心臓疾患」という重度の障害の可能性を指摘されていたそうです。
卵子提供での体外受精とは言え、50歳での出産となると色々なリスクを伴うのかも知れませんね…
出産後は野田聖子氏も子宮を摘出する手術受け、2度と子供を産めない体になってしまったそうです。
2011年1月6日に生まれた野田真輝くんですが、生まれながらに重度の障害が判明してすぐにNICU(新生児のための集中治療室)へ入り、2011年5月中旬に心臓の手術を受け、何とか一命を取り止めました。
息子は生まれてから2歳3カ月まで入院していました。その間は離ればなれ。NICUで1日1回、20分しか会えなくて、搾乳したおっぱいを凍らせて届けるというのが私の仕事でした。
引用元:東京新聞
その後の1年間で9回もの手術をしたという真輝くんですが、順調に回復しつつあった2011年10月17日の朝突然3分間の呼吸停止。
命に別状は無かったものの、右手、右足のマヒ、脳梗塞の所見などが襲いました。
最終的に野田聖子議員は旦那の文信氏と二人で何日も悩んだ末、真輝くんの可愛らしい声と引き換えに医師から提案された気管切開の提案を承諾したそうです。
野田真輝 (のだ まさき) の現在は?
2021年現在10歳になった野田真輝くんはどうなっているのでしょうか?
現在でも主に3つの障害が残っています。
- 心臓疾患(一級)
- 脳梗塞による右麻痺(二級)
- 知的障害(中程度)
野田聖子議員はご自身のブログで頻繁に息子さんについて書かれていますが、2020年には学校から学童に行く途中に転倒してしまった事を明かしています。
「久々に、ムスコさんが、転倒。学校から学童に行く途中。これまでは、転ぶ=骨折だったけど、今回は折れなかったよ!右半身の反射神経が向上したのか、成長して骨そのものが強くなったのかは、不明だけど」
引用元:デイリー(2020年7月11日)
成長と共に少しずつ身体がたくましくなっている様ですね。
2021年現在の身長は138cmと全国平均よりも2cmほど高く、体重こそ27kgで全国平均よりも5kgほど軽いものの、順調に成長している事が分かります。
ちなみに、最近では料理を手伝ってくれることもあるそうです。
野田真輝 (のだ まさき) は医療的ケア児
それでも野田真輝くんは「医療的ケア児」と呼ばれ、野田聖子議員は毎日がハラハラだそうです。
50歳の時に授かった息子の真輝君(9)は、医療機器がなければ生きられない医療的ケア児のため、毎日がハラハラだという。
引用元:AERA.dot.
自宅で息子を医療ケアするにあたり、コロナ禍では特に消毒液などは命綱の一つであるため、不安も大きかったに違いありませんね。自宅には集中治療室(ICU)みたいに人工呼吸器も置いてあるそうです。
「息子は自宅にばかりいると、ストレスで私を殴るんです。知的障害もあって、言葉を上手にしゃべれないので、何を言っているのかわからない時に、何回か繰り返して聞くと、頭に来てパーッと手が先に出ちゃう。痛いし、息子にぶたれるのがどんなにつらいか」
引用元:AERA.dot.
野田真輝 (のだ まさき) の学校はどこ?
野田真輝くんはどこの学校に通っているのでしょうか?
野田真輝 (のだ まさき) は看護師と保育園へ!
野田聖子議員は真輝くんを預かってくれる保育園を探したそうですが、医療的ケア児を預かってくれる施設は少なく、費用も月額50万円とかなり高額だったそうです。
そのため、野田聖子議員は自分で看護師を雇い、保育園に通わせていました。
看護師と通わせるなんてあまり聞いたことありまえんが、野田聖子議員なりに考え抜いた末の解決策だったのかも知れませんね。
野田真輝 (のだ まさき) は青山特別支援学校へ進学
野田聖子議員は2016年に真輝くんの障害の状態などを鑑みて就学相談を受け、『特別支援学校』が良いとのアドバイスをもらったそうです。
2017年4月から東京都立青山特別支援学校に進学したことを野田聖子議員は当時のブログで明かしています。
ちなみに青山特別支援学校の場所はコチラです。
当時のブログでは真輝くんが小学校に進学するにあたっての悩みも綴っており、医療ケアの問題などで色々と大変だったんでしょうね…。
しかし、わがムスコさん…東京都の特別支援学校の入学が決まったものの、詳細を詰めはじめると、つまずくこと、多し。現場の先生たちは熱意持って受け入れようとしてくれているのに。保育園で出来たケアが、公教育で出来なくなるという矛盾。
引用元:野田聖子オフィシャルブログ
野田真輝 (のだ まさき) は港区の公立小学校へ転校!
野田聖子議員は2019年3月のブログで4月から真輝くんが特別支援学校から特別支援学級へ転校する事を明かしています。
昨日、某小学校で打ち合わせ。来年度、つまり来月から、ムスコさんは転校することになる。彼の主治医さんや放課後デイの先生から勧められて、家族一同、新たな挑戦へ!
引用元:野田聖子オフィシャルブログ
支援学校から支援学級へ。
つまり、野田聖子議員は息子の真輝くんを障害の程度が比較的軽い子供を対象にした教育を受けられるように転校させたという事ですね!
野田氏は「今日は学校面談へ行けた」とも述べ、「どうやら進級させてもらえそう」と報告。「突然の要請、だけど断れない要請だから。でも先生方、使命感キラキラさせ、頑張ってくれてます」と説明し、「母親として、議員として、どう危機対応があるべきか、現場で検証する」とつづった。
引用元:Abema News
野田聖子議員は自身のブログで、真輝くんが自分の名前を書けるようになったことや、給食のスープを飲めるようになったことなど成長を嬉しそうに書かれています。
どこの学校に転向したかは明かされていませんが、港区の公立小学校と言われています。
真輝くんが被っている青い帽子を手掛かりに特定できてしまう方もいらっしゃるかも知れませんね。
野田真輝 (のだ まさき) は父親が大好き!
野田真輝くんは父親の野田文信さんが大好きだそうです。
野田聖子さんが議員として毎日忙しくしている事を考えると、父親の方が接する時間が長いでしょうから必然的にそうなったのかも知れませんね。
息子は、パパにはキスするけど私にはしない。長くいる方が好きに決まっているから。パパのことはなめまわしちゃって大変です(笑)。パパはそんな息子に、「勉強しない」「パンツが脱ぎっぱなしだ」とか言って息子を怒ってばかり。だけど、息子はどんなに怒られてもお金を出してくれるママよりパパのほうが好きなんですよね。
引用元:東京新聞
野田聖子さんらしい家族の形なのかも知れませんね。
これからも野田聖子さんを応援したいと思います。