元内閣総理大臣で現在東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会長の森喜朗(もり よしろう)氏。
総理大臣時代から失言も多く、メディアからの注目を度々浴びている森喜朗会長ですが、どの様な家族構成をしているのでしょうか?
森喜朗会長の家系図を見てみると、祖父の代から政治家をされていて、政治家系でよくあるエリート家系であるという事が分かります。
しかしながら、息子の祐喜さんはには逮捕歴があったり、あの押尾学さんと黒い噂などもあるようです。
また娘の陽子さんは、商社で働かれていた元キャリアウーマンで、結婚した相手が有名IT社長という噂が…。
この記事では、森喜朗会長の家系図についての情報をまとめさせていただきました。
もくじ
【森喜朗の家族構成】妻・森智恵子(もりちえこ)
森喜朗会長の妻は智恵子(ちえこ)さんです。
智恵子さんは早稲田大学教育学部国語国文学科に在籍していました。
森喜朗の妻・森 智恵子は日本人じゃない?
森喜朗会長が妻の智恵子さんと出会ったのは早稲田大学の学生時代です。
初めて会ったとき、ちょうど水泳で真っ黒に日焼けしていた智恵子に、こう森が声をかけた。「あなた、お国はどちらですか」。森は、色の黒さから智恵子をタイかインドネシアあたりから来た留学生とカン違いをしたのだった。
引用元:exciteニュース
智恵子さんはもちろん日本人ですが、日焼けをした姿にうっかり勘違いをしてしまった様ですね。
森喜朗会長のウッカリ失言は学生時代の頃からすでにあったのですね…。
ちなみに智恵子さんは森喜朗会長の第一印象をこの様に話しています。
「背は高く、なかなかのハンサム。それ以上に、物事に律義、几帳面、夢を持っていてかわいい人だなというのが印象でした」
引用元:exciteニュース
どうやら森喜朗会長は学生時代ラグビーをやられていたので、スポーツマンでカッコよかったんでしょうね!お二人は1961年に結婚されています。
森智恵子は夫・森喜朗のためなら死ねる?
「あるときの会で、夫人たちの話題に『夫のために死ねるか』というのが出た。大方の夫人たちは『子供のためなら分かるけど、旦那のためにというのはねぇ』と、いわばノーということだった。ところが、ふだんは口数の少ない智恵子夫人のみ、『子供のためにも死ねるけど、私は夫のためにも死ねるわ』と、周りの夫人たちの目を見張らせたというのです。以後しばし、夫人たちの間では、『ハラの一番すわっている奥さんは森さんの奥さん』で一致したと言われていた」
引用元:exciteニュース
なかなか「夫のために死ねる」と言い切れる奥様は少ないのではないでしょうか?
女性軽視発言でメディアに叩かれた際も「昨夜、女房にさんざん怒られた。」と言っていた森喜朗会長。
きっとどんな状況でも森会長の味方になってくれる素晴らしい奥様なのではないでしょうか?
【森喜朗の家族構成】長男・森祐喜(もりゆうき)
森喜朗会長の長男は森裕喜(もり ゆうき)さんで、1964年に石川県で生まれています。
東海大学を中退後、渡米しジョージタウン大学でEFLプログラム(英語のコース)を受講し、帰国後に父親の森喜朗さんの公設第一秘書として仕えた後、石川県議会議員などを歴任しています。
当時から森喜朗会長の不適切発言が多かったことから、母親の智恵子さんに対して、
「おやじに使ってはいけない言葉のリストを作って持たせろ」
と言っていたようですが、その後リストが作られる事はなかったのでしょうか…?
森祐喜と押尾学事件との関係は?口止めに消された?
2009年8月2日に発生した押尾学事件。
「押尾学事件」とは?
2009年8月2日、押尾が合成麻薬MDMAを服用したとして同年8月3日に麻薬取締法違反で逮捕される事件が発生した。その際、六本木ヒルズのマンションの部屋で押尾と一緒にMDMAを使用したホステスの女性が全裸で死亡していたことや、事件現場の部屋の名義が押尾の知人であるピーチ・ジョン代表取締役社長の野口美佳であったことなどにより、スキャンダラスな観点から報道がなされた。
この事件に関して、実際にホテルでホステスと一緒にいたのは押尾学さんではなく、森祐喜さんだったのではないか?という疑惑が有るのです。
亡くなったホステスと祐喜氏が一緒に写った写真があったり、彼女が出入りした銀座のクラブに押尾と祐喜氏が常連だったとの証言などから、事件当時一緒にいたのではないかという疑惑が浮上したこともあった。
引用元:exciteニュース
また、押尾学さんが出所してから芸能界にいた時よりも優雅に暮らしていることから元首相の側近から口止め料が払われたというウワサも…。
このときささやかれていた話が「元首相の側近から、押尾のタニマチだったパチンコ業界関係者を通じて、2億円の“口止め料”が払われた」とするものだ。
引用元:exciteニュース
真相は分かりませんが、森祐喜さんはその後飲酒で事故を起こして議員を辞任。
2011年に46歳の若さで急性膵炎による多機能不全のために亡くなられています。突然の逝去に「口止めのために消されたのでは?」というウワサが今でもくすぶっているほどです。
【森喜朗の家族構成】長女・藤本陽子(ふじもとようこ)
森喜朗会長の長女は藤本陽子(旧制:森陽子)さんです。
青山学院大学を卒業し、大手の商社である三井物産に就職をしています。
陽子さんはバリバリのキャリアウーマンでしたが、25歳の時に結婚して寿退社をしています。
長女・藤本陽子の旦那が有名IT社長!
陽子さんが結婚したお相手というのが、起業家の藤本真佐(ふじもと しんすけ)さんという方です。
経歴を見てみると、1967年に千葉県で生まれで青山学院大学在学中に妻の陽子さんと出会ったそうです。
在学中にマーケティング会社を企業し、その後は…
1994年 デジタルハリウッド設立に参画
1996年 Web総合インテグレーション会社を創業
1999年 兼任でTSUTAYAオンラインを創業し、社長に就任
2002年 デジタルハリウッドに復帰し社長兼CEOに就任
2011年 株式会社Platform ID取締役
森氏が首相就任と同時に前出・戦略会議を立ち上げたのは、藤本氏に触発を受けてのこととの見方が有力だ。
引用元:アクセス・ジャーナル
その藤本氏は現在40歳。青山学院大学時代に起業しており、“日本のビル・ゲイツを目指している”と紹介されたこともあるほど。
「日本のビル・ゲイツ」と言われるほどITに強い有名な方なんですね!
【森喜朗の家族構成】父親・森茂喜(しげき)
森喜朗会長の父親は森茂喜(1910~1989年)さん。
1910年3月に石川県能美郡根上村(現:能美市)に生まれると、早稲田大学時代は、ラグビー部の中心選手として活躍しました。
早稲田大学を卒業後は、京都市役所を経て、石川県庁で勤務。その後、日中戦争の勃発により陸軍に召集され、終戦まで中国大陸や南洋諸島で活動していました。
従軍中はラグビーボールを自作し、部下や捕虜とラグビーを楽しんでいたそうです。森喜朗会長のラグビー好きは父親譲りだったんですね。
復帰後の1947年に、根上町議会議員選挙に出馬し初当選すると、町民からの絶大な支持を受け、9期連続当選を果たしました。
1989年肺炎のため亡くなっています。
【森喜朗の家族構成】母親・森薫(かおる)
森喜朗会長の母親は森薫(もりかおる)さんです。
森喜朗会長は3人兄弟で、姉・智子さん、現在外科医をされているという 弟・紀喜さんがいます。
母親の薫さんは父親の茂喜さんが従軍中の1944年に乳ガンのために亡くなられています。
1946年に戦地から帰ってきた父親の茂喜さんは、薫さんの仏壇に向かって無言で座っていたそうで、寂しげな父親の背中は、少年だった森喜朗会長にとっても印象深いものだったそうです。
父親の森茂喜さんはその後再婚しており、継母の名前は森秋子(もりあきこ)さんです。
継母は2010年に亡くなっています。
【森喜朗の家族構成】祖父・喜平(きへい)
森喜朗会長は1937年に石川県能美市の生まれですが、祖父は森喜平(1875~1969年)で、政治家でした。
森喜平さんは石川県能美郡村根村(現:能美市)に江戸時代、庄屋を務めた旧家に生まれ、幼少時から俊才と周囲から一目置かれる存在だったそうです。
1917年に根上村長に就任すると、その後28年間に渡って村政・町政を取りました。
森喜朗会長が政治家としての人生を歩むきっかけとなったのは祖父の存在が大きかったに違いありません。