女子プロテニスで世界中から注目を浴びている大坂なおみ選手。
家族や両親の生い立ちを探ると、父親はハイチ系のアメリカ人で日本には英会話講師として来日、母親は北海道出身で英会話学校で働いていましたが、若い時に駆け落ちをして勘当されています。
「大坂なおみは家族と仲が良い」
これは事実のようですが、ここに来るまでにはかなり色々なハードルがあったようです。
一体何があったのでしょうか?大坂なおみ選手の両親や姉、そして祖父母との複雑な家庭事情についてまとめました。
もくじ
大坂なおみの両親は駆け落ちで大阪へ!
大坂なおみ選手は2人姉妹の次女になります。
ご両親は父親のレオナルド・フランソワさんがハイチ系のアメリカ人で、母親の大坂環(おおさか たまき)さんが北海道根室市出身の4人家族です。
フランソワさんはアメリカの大学を卒業後に来日し、札幌で英会話講師をしており、その時に英会話学校で働いていた大坂環さんと出会いました。
こちらの写真は大坂なおみ選手が生まれたばかりの頃の物で、こんなに幸せそうに見えますが、この時2人は駆け落ちをしていて、母親の環さんのご両親からは勘当されていました。
父親 | レオナルド・フランソワ |
母親 | 大坂環(おおさか たまき) |
姉 | 大坂まり |
妹(本人) | 大坂なおみ |
〈札幌に外国人が目立ち始めた1990年頃、環はニューヨークから来たハンサムな大学生と出会う〉
〈ふたり(環さんとフランソワ氏)は環の両親に内緒で恋仲となり、数年間関係を続けた。/環は振り返る。/「私が20代の前半だった頃、父親にお見合いを勧められました」そこで、自分には決めた人――外国人であり、なおかつ黒人――がいることを打ち明けると、彼女の父は、一家の恥だと怒り狂った〉
〈環とフランソワは大阪に移り住み、仕事を見つけた。環は10年以上も実家の両親と関わりを持たなかった〉
引用元:デイリー新潮
環とフランソワは大阪に移り住み、仕事を見つけた。環は10年以上も実家の両親と関わりを持たなかった
この言葉通り、大坂なおみ選手の父親と母親は大坂家から勘当され、1995年に大阪に移り住んでいます。
環さんの父親(大坂なおみ選手の祖父)は根室で漁業組合長を務めるなど裕福な家庭の方でしたが、当時19歳の環さんと23歳のフランソワさんの結婚は、根室という田舎町では珍しい「肌の色が黒い外国人」という理由で認められず、2人は逃げる様に大阪へ移住したのです。
大坂なおみさんのご家族はその後、仕事や子供の教育の事を考えてアメリカに移住し、生活が苦しい中でニューヨークからフロリダへと居を移して生活をしてきました。
「テニスを教えてくれた父は穏やかな人。感情の起伏が少ない。対して母はエモーショナル(感情的)。それに完璧主義者。私はその部分を引き継いでいるのかもしれない」
引用元:Smart Flash
一体どんなご家族で、どのようにして家庭環境は改善されたのでしょうか?
大坂なおみの父親‖レオナルド・フランソワ
大坂なおみ選手の父親の名前はレオナルド・フランソワさんです。
現在の国籍はアメリカですが、北中米カリブ海に浮かぶ小国であるハイチ共和国のご出身で、1994年に来日しています。
ハイチ共和国の公用語はフランス語ですが、父親はアメリカでの生活が長く英語も堪能で”なおみ”という名前を付けた理由として「英語でもフランス語でも通用する」や「日本では完璧な日本の名前として、馴染みやすく呼びやすいから」という理由があったそうです。
父親はフランス語を母語とするアメリカ人で、生誕地は大阪市。生まれながらにして色彩豊かなバックグラウンドを背負った我が子が、いずれの国からも親しまれるようにとの母の願いが、その名には込められていた。
引用元:Sportiva
大坂なおみの父親はハイチと世界の懸け橋
2018年に全米オープンで大坂なおみ選手が優勝した時には、大坂なおみ選手を含めた家族全員でハイチに行き、大統領夫人と面会しています。
大坂なおみ選手はかねてから日本だけでなく、ハイチを代表している事や「ハイチの国民性が大好き」といった発言をしており、ハイチはそれによって世界からも注目を集める事になりましたが、まさに大坂なおみ選手の父親はハイチと世界の懸け橋的な存在であると言えそうですね。
「私は、日本文化のすべてが好きです。それはハイチに対しても同じです。ハイチ人は本当にポジティブで、友人のためなら何でもするくらい心が広いんです。私はその国民性がとても大好きで、父の家族がそのような背景をもっていることを本当にうれしく思います」
引用元:livedoor news
大坂なおみ選手の父親は「私の先祖たちは40日間以上船の上で生活していたんだ」と大坂なおみ選手に語ったこともあり、大坂なおみ選手にとってそのような忍耐強い先祖がいる事はテニスをする上でも強みになっているそうです。
2021年8月にハイチで大きな地震が発生した際には、賞金のすべてを寄付する事をツイッターで表明しています。
「今週大会に出場し、賞金をすべてハイチ救援のために寄付します」と述べ、米国で今週開催される大会での賞金を全額寄付することを表明した。
引用元:毎日新聞
大坂なおみは父親がテニスのコーチだった!
父親が大阪に逃げる様に引っ越したというのは前述の通りですが、1995年に大阪に移住して以来、2001年頃まで大阪市中央区空堀商店街付近に住んでいました。
大坂なおみ選手の父親はニューヨーク大学を卒業していますが、身長190㎝で体重は100㎏と大型で学生時代はバスケットボールやアメフトをしていたため、初子供たちにもバスケットボールをやらせようかと考えていたそうですが「テニスは個人戦なのでその方が子供の成長のためには良いのではないか?」と考え、大坂なおみ選手が3歳の頃に姉のまりさんと一緒にテニスを始めさせました。
練習場所は大阪の靭公園の中や1LDKの家の襖を外して広くするなど、お金のない中でも工夫していた様です。またテニスに関しては素人だったので、ウィリアムス姉妹もそうだったようにプロテニスプレーヤーの映像を見て研究していたそうです。
多くのテニス選手が専門のクラブやアカデミーなどでテニスを始める中、金銭がかからない公営コートで育ったのも共通点。2人の父は、使い古した球を何度も使い節約したという。そして弱肉強食ながら一獲千金の世界に飛び込んだ。
引用元:日刊スポーツ
ちなみに「ナオミ、ナイスやんか!」と関西弁をしゃべる面白いアメリカ人として地元では評判だったとか…。
大坂なおみ選手は16歳でプロになるまで父親がコーチとしてサポートしていましたが、父親は「落ち着いて」というだけだから…というホッコリするエピソードを明かしています。
「父がコーチをするなんて…! コートでの父の指導がどんなものか知っていますか? 父はベンチに駆け寄って、私に『落ち着いて!』って話しかけるだけ。なにかの戦術を伝えてくるわけでもないんです。だから私は父に怒っていました(笑)」
引用元:livedoor news
大坂なおみの父親の仕事は何?映画監督?
そんな大坂なおみ選手の父親ですが、コーチ以外にもハイチ共和国で映画監督としても活動しています。
- 2006年『セルフィッシュ・ラブ』
- 2009年『ハードタイム』
- 2012年『ポップ・パ・パパ』
ちなみに『セルフィッシュ・ラブ』には大坂姉妹も出演しています。
父親が通っていたニューヨーク大学には『フィルム・メイキング』という学科がありますので、もしかすると大学時代から映像制作を学んでいた可能性は有りますね。
大坂なおみの父親はハイチに学校を建設していた!
大坂なおみ選手は2017年10月にハイチ共和国を訪れた際に1枚の写真をインスタに投稿。
私の両親が20年前に建てた学校に行ってきました
この投稿から20年前というと1997年頃でしょうから、大坂なおみさんが生まれた頃の話になります。
大坂なおみ選手の父親はInternational Outreach Associationという非営利活動法人でも働いていた事が知られていますので、当時経済的に苦しかったであろう考慮すると学校を寄付したとは考えにくく、この非営利活動を通じて学校を建てたという意味かも知れません。
大坂なおみの父親は離婚している?
そんな大坂なおみ選手の父親には離婚してるんじゃないの?という疑惑がある様です。
恐らく理由としては大坂なおみ選手が「大坂」の性を名乗っている事だと思われますが、これに関しては大坂なおみさんが全豪オープンの優勝記者会見でこのように答えています。
「2014年から何度も使っているジョークを言うわ。大阪で生まれた人の名字はみんな『オオサカ』なの(笑い
引用元:Newsポストセブン
これはジョークだったようですが、実際の理由は父親のレオナルドさんが『日本で生きていくなら日本名の方が便利だし、多文化社会のアメリカでは”オオサカ”という姓で困ることは無い』と考えたからだそうです。
父親のレオナルドさんは、子供たちが生まれる前からいずれは子供たちをアメリカに連れて行こうと考えていたそうで「名字が日本を思い出させるものになればいい」とも考えていた様です。
また試合中にファミリー席にいない事も離婚疑惑のもう1つの理由になっているようですが、2018年に全米オープンテニスで優勝した大坂なおみ選手は「父親はいつも試合中どっか行ってしまう」と極度の緊張で試合を最後まで見ていられない事を明かしています。
現在でも大坂ファミリーは仲良し写真を時折アップしており、離婚疑惑はガセと考えられます。
大坂なおみの母親‖大坂環(おおさか たまき)
大坂なおみ選手の母親は大坂環(おおさか たまき)さんで、1971年生まれで北海道根室市の出身です。
高校まではスピードスケートをされていたらしく、大坂なおみ選手の運動神経が抜群なのは父親だけでなく母親の影響も大きそうです。
大坂なおみ選手の母親は高校から札幌の学校に進学していますが、当然の事ながら根室から札幌へ毎日通学するワケにはいきませんので、当時から一人暮らしをしていたのかも知れません。
高校卒業後、大手英会話学校に就職し、そこでフランソワさんと運命の出会いをして駆け落ちをして1995年~2001年まで大阪で生活し、その後、アメリカのニューヨークに移住しています。
大坂なおみは母親を尊敬!
大坂なおみ選手は2017年のインタビューで「これまでの人生でもっとも影響を受けた女性は?という質問に、迷わず「お母さん」と答えています。
「お母さんはこれまでずっと頑張ってきて、私もずっとその姿を見てきました。だから私もお母さんが一息つけるよう、結果を出したいと思い続けてきました」
引用元:BUZZ FEED
また2021年7月からNETFLIXで公開されているドキュメンタリー映像では、テニスを始めた理由として下記の様に答えています。
母は働きづめだった。車で眠ることもあった
ただ母を幸せにしたいと思った。私がテニスをする理由はそれだけだった
渡米後も生活が苦しかった環さんはニューヨークで日系企業で働き詰めだったそうで、2006年にフロリダに移住してからも三菱のマイアミ支社でフルタイムの事務職で働いていたそうです。
大坂なおみ選手は、そんな母親に対して早く楽になってもらいたいという一心でテニスをしていたんですね。
大坂なおみと母親の抱擁に全米が泣いた!
そんな大坂なおみ選手が憧れの全米オープンテニス決勝の舞台で小さい頃からの憧れであるセリーナ・ウィリアムズに打ち勝った時の母親との抱擁に全米が涙しました。
大坂なおみ選手はアメリカを代表する人気選手であるセリーナ・ウィリアムズに勝った事で、表彰台に上がってもブーイングが止まず「みんなセリーナのことを応援していたのはわかっています。こんな結果になってしまってごめんなさい」と優勝者とは思えないコメントをした上で、母親に対して感謝の気持ちを残しています。
「お母さんは、私のためにたくさんの犠牲を払ってくれました。母は普段、あまり試合は見に来ないんです。だから私の試合を応援することは、母にとって本当に大きな意味があるんです」
引用元:BUZZ FEED
大坂なおみは母親の手料理が大好き
大坂なおみ選手は毎日母親の作る和食を食べているので味覚は日本人に近いそうです。
また母親は栄養学の勉強をして、大坂なおみ選手の身体を支える事を考えていらっしゃるそうです。
大坂なおみ選手が活躍したことで生活に余裕ができたこともあるかも知れませんが、2018年には仕事も辞めてこれまで以上に大坂なおみ選手の活躍のために人生を捧げているようです。
大坂なおみは母親と仲良し!
大坂なおみ選手のインスタやツイッターを見ていると、親子というよりは友達と言った方が良さそうな動画がありました。
こちらはコロナ禍で行われたUSオープンで母親とビデオ電話をする大坂なおみ選手。
さらにハイチを訪問した際にはノリノリでダンスしてしまう母親の環さんw
2021年現在は50歳ですが、まだまだお若いですね!
大坂なおみの姉‖大坂まり
大坂なおみ選手の姉の名前は大坂まりさんで、元テニス選手です。
1994年4月3日生まれで、大坂なおみ選手の1歳年上になります。
大坂なおみ選手とソックリで、子供の頃からとても仲が良かった様です。
大坂なおみの最大のライバルは姉だった!
大坂なおみ選手は3歳から16歳までずっと毎日二人で試合をしていたそうですが、勝つのは毎回姉のまりさんで、妹のなおみさんは、いつも「明日は倒す」と言っていたそうです。
そんな妹の姿を見て、姉のまりさんは「妹は諦めないという事を、教えてくれた」と語っています。
また大坂なおみ選手は10歳で初めて姉相手に勝利したことが「人生最大の勝利」と語っています。
最近でも大事な試合の前にはお互い電話を掛けるほど仲が良いそうです!
大坂なおみと姉はダブルスでペアだったことも!
大坂なおみ選手と姉のまりさんは2017年の東レ・パンパシフィックテニスで主催者推薦枠で姉妹ダブルスを組んで出場しています。
残念ながら、結果は1回戦敗退でしたが、観客は大いに盛り上がりました。
大坂なおみの姉は日本語をしゃべれる?
大坂なおみ選手アメリカ生活が長いため、日本語よりも英語の方が得意なことで知られていますが、姉のまりさんもやはりそうなのでしょうか?
こちらは2014年に行われた福岡国際女子テニス大会の様子ですが、姉のまりさんが日本語でインタビューに答えています。
やはり日本語をマスターするのはなかなか難しいようですね(苦笑)
大坂なおみの姉へのメッセージに全米が爆笑
大坂なおみ選手は2021年2月に行われた試合でカメラにサインをする際に、姉のまりさんに向けたメッセージを書いて全米のファンが爆笑しています。
まずはコチラの映像をどうぞ。
「Mari stop sending weird images in the group chat(マリ、変な画像をグループチャットに送るのをやめて)」
アメリカのファンもこれには爆笑で「本当に可愛い!」「彼女のそういうところが好き」「これは面白い」「超ウケる」「楽しませてくれるね」「また何かやった!」などのコメントが集まっていました。
大坂なおみの姉が妹を擁護
大坂なおみ選手は2021年5月~6月に行われた『全仏オープンテニス』で試合後の記者会見の辞退を表明し、その後、大会も辞退しましたがその時、姉は世間からバッシングを浴びる妹を擁護するため「ナオミの考えに少しも共感してもらえないのはちょっと辛い」「精神的に不安定であった」とSNS上で説明しました。
「彼女は完全に自信をなくし、みんなの発言や意見のせいで、自分自身でもクレーが苦手だと思い込んでしまったの。でもローランギャロス(全仏オープン)で優勝するためには、自分の力を信じなければならないことは彼女もわかっています。自分を信じること。これはアスリートがすべき最初のステップです」
引用元:The Digest Web
そんな中で「すべてを遮断して、彼女の心に疑念を抱かせるような人とは話さない」ことだったと説明しましたが、結局この投稿もバッシングを浴び、消すことになってしまいました。
しかしながら、妹を守りたいという一心で起こした行動に心を打たれた方も少なからずいるのではないでしょうか?
大坂なおみの姉の現在の仕事はデザイナー?
大坂なおみの姉のまりさんは、WTAランキングの最高位は289位と妹の大坂なおみ選手と比べてしまうと思い通りの成績は残せませんでしたが、2021年3月9日にインスタで現役からの引退を表明しています。
「とても楽しいとは言えない旅でしたが、このスポーツから得た全ての思い出とサポートに感謝しています。今後の楽しい新プロジェクトにご期待ください」
姉のまりさんは、テニスの他にデザイン関係の仕事もしてきました。
現在月刊少女マンガ誌「なかよし」で連載中の「アンライバルド NAOMI天下一」の監修を務めたり、妹のなおみさんが考えたコンセプトをデザインに起こしてマスクを制作するなど、デザイナーとしての才能を発揮しています。
引退後のインスタのプロフィールには、『アーティスト』と記載されており、今後はよりデザイン方面に注力していくのかも知れませんね!
大坂なおみの祖父‖大坂哲夫(おおさか てつお)
大坂なおみ選手の祖父(大坂環さんの父親)は大坂哲夫さんで1945年生まれで北海道の勇留島(ゆりとう)という北方領土である歯舞諸島の島の1つの出身だと言われています。
その後、根室に移住し、現在は根室漁業組合長をされています。
大坂哲夫さんは娘夫婦を勘当してから10年間もの間連絡を取っていなかったそうですが、大坂なおみ選手がテニスで頭角を現すに連れて関係が少しずつ改善したそうです。
今では孫の優勝のお祝いにとパールのピアスを送ったり、大坂なおみさんもサイン入りのハンカチとネクタイを送るなど、すっかり仲直りしているようですね。
こちらは2018年に大坂なおみ選手が全米オープンテニスで優勝した時にコメントを求められた時の様子ですが、孫の活躍に笑みが止まりませんね。
またこちらのインタビューでは後ろに日本庭園の様なものが写っていますが「大坂なおみの祖父金持ちすぎじゃない?!」と話題になりました。
実家が金持ちだったにも関わらず、幼少期に支えてもらえなかった環さんは辛かったかも知れませんが、勘当された時の苦労が無ければ、大坂なおみ選手がテニス界で活躍する事も無かったかも知れませんね。
大坂なおみのプロフィール
- 名前:大坂なおみ(おおさか なおみ)
- 生年月日:1997年10月16日
- 国籍:日本
- 出身地:大阪府大阪市中央区
- 居住地:アメリカ・フロリダ州
- 身長:180㎝
- 体重:75㎏
- 利き手:右
10歳からヨネックスと契約するなど幼少期からその才能が認められていた大坂なおみ選手。
2019年までは日米の二重国籍でしたが、22歳の誕生日を迎えるにあたって日本国籍を選択しています。日清食品ホールディングスに所属し、マネジメントはIMGが担当しています。
2018年に全米オープンテニスで優勝して以来、彼女の知名度は一気に跳ね上がり、現在は女性アスリート史上最も稼ぐ存在として大きな注目を浴びています。
彼氏はラッパーのコーデーで、格差カップル?と話題になっています。